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東京電力福島第一原子力発電所の事故
東京も人が住めなくなる可能性がありました

 2011年3月11日の東日本大震災で、東京電力福島第一原子力発電所は、1,3,4号機の建屋が次々と爆発。さらに1,2,3号機がメルトダウンして、日本中をパニックに陥れ、世界を震撼させました。東京電力は、大津波が発生する可能性を指摘されていましたが、その対策を怠っていたのでした。
 当時の菅直人首相が想定した最悪のシナリオは、使用済みの核燃料プールの水が無くなり、膨大な放射性物質が火災で大気中に巻き上げられることでした。その場合には避難区域が半径250kmになる可能性もあるため、東京都民を避難させる首相談話も用意していました。また、天皇には非難を促していたことが、10年後に公表されました。
 一方、事故対応をしていた当時の福島第一原発所長の吉田昌郎氏は「我々のイメージは東日本壊滅だった」と振り返っています。
 最悪の事態を免れることができたのは、事故前の工事ミスなどの偶然が重なったためだったと、1年後に公表されました。

今も人が住めない地域があります

 大気中に放出された放射能は、北海道や関東、東海地方など広範囲に流れました。米エネルギー省の資料によると、当時は放射線量が125μSv/h(現在の東京の3000倍)を超える地域もあり、現在も大堀地区や津島地区などは人が住めません。
 事故から9年後の津島地区の住民調査では、半数が心的外傷後ストレス障害(PTSD)、3割がうつ病の疑いがあるという結果でした。

事故当時に想定された避難区域
(半径250km)

放射線量マップ
(2011年3月17日~19日)

※単位はマイクロシーベルト / 時
※米エネルギー省提供
大堀相馬焼の郷「陶魂会」

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