現地を見て、知って、感じてほしい
大堀相馬焼協同組合理事長
春山窯13代目 小野田利治さん
小野田利治さんは、江渡時代中期から続く春山窯の13代目として生まれ、父親や職人さんたちの仕事を見て「自分も継ぐのは当たり前」と思いながら育ちました。そして窯元を継いで30年、3人の子育て真っ最中の時に原発事故に見舞われました。
避難のストレスで身近な人がうつ病に
「でも、たくさんの人に支えられてきました」
大地震から一夜明けた2011年3月12日の朝8時、「直ちに避難してください!」と防災無線の放送がありました。理由も知らされず、数日で戻れると思いながら、小野田さんは奥さんと3人の子どもを車に乗せて、一緒に暮らしていた母親は近くに住む弟夫婦の車に乗って避難しました。
最初の避難先は同じ町内の浦島地区。ところが、その人の午後に原発が爆発し、2日後にまた避難。それ以降、いつ帰れるか分からないまま、体育館や親せき宅などを転々とする生活が続きます。
後で分かったことですが、最初の避難先の津島地区は放射線量が非常に高い場所でしたが、町はそれを知らずに津島に町民を避難させたのです。子どもへの放射能の影響を心配しながら、地元の人たちと離ればなれになっての先が見えない避難生活、身近な人がうつ病になるなど辛い生活が続きました。
それでも翌年には、陶芸教室の生徒だった人が土地の提供と備品の調達をしてくれて、いわき市で仮説工房を開いて陶芸教室も再開し、その5年後には、本宮市に窯を移して店舗も再開しました。
伝統的な作品だけでなく、新しいデザインにも取り組み、学校や公民館で大堀相馬焼のことや陶器作づくりの楽しさの教えています。「大変でしたが、たくさんの人に支えられて頑張ることができました」と小野田さんは話します。
大堀相馬焼の郷「陶魂会」