現地を見て、知って、感じてほしい
東京電力福島第一原子力発電所は、2011年3月11日の東日本大震災で全電源を喪失して制御不能となり、放射能を放出し次々と爆発しました。当時の首相は、東京住民も非難させなければならない事態も想定し、天皇には実際に避難を促しました。福島原発の事故は、首都消滅が想定されるほどの事故だったのです。
最悪の事態は回避され、今では人が住めなくなった場所は除染され建物は撤去されて”きれいなまち”に姿を変え、原発事故は過去の出来事になりつつあります。
しかし、今でも放射線量が高く、人が住むことができない地域があります。江戸時代から300年以上続く「大堀相馬焼の郷」もその一つです。
大堀相馬焼は関東から北陸・北海道までの広い範囲で民衆に愛用され、江戸時代は窯元が100軒以上になり,千石船で出荷されていました。明治以降は海外にも輸出されていました。しかし、原発事故によって、300年続いてきたこの地域での営みが一瞬にして失われてしまったのです。
見学場所になっている「春山窯」には、一つひとつ精魂込めて作られた陶器が置き去りにされています。13代目の小野田利治さんは「あの場所に帰りたい。でも、帰られるかわからない」、「今はただただ悔しい」と、複雑で辛い想いを語ります。そして、朽ちていく我が家を見るのは辛いと言いながらも、たくさんの人に見てもらおうと決心しました。
「陶魂会」は、原発事故の被害を「大堀相馬焼の郷」を通して伝えたいと考えています。そして、多くの人に足を運んでもらうことで賑わいを取り戻し、再びこの地が大堀相馬焼の拠点となることを願っています。
大堀相馬焼の郷「陶魂会」